割れる足跡







第2話〈私情と依頼〉



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 目が覚めると12時を過ぎていた……その上寝ていた場所がベッドではなく机に伏してだと言う事にも気づく。
 そうか……昨日はこのノートを書いている途中に寝てしまったんだ。
 そしてバラバラとページをめくっていく。読み返してみると内容は乱雑で字も決して綺麗とは言えない。けれど、これを見ればこの時にどんな思考で文字をつづったのかが思い出される。
 これは1つ残らず記憶の中に蓄積されている。だからこのノートが必要だ。人間は全てを記憶できるほど性能がよくない、だからこのノートのようなパスワードを用意しておけば記憶も引き出せる。
 他の人は分からないが俺はこの方法で記憶を引き出せるのは事実だ。
 ノートを読み直しているとノートに書かれた1つの文章に目が止まる。
「私立探偵に依頼……」
 これは重要な内容だった。
 来月の合宿には計画の実行をしなければならない。
 そして探偵に依頼をして情報を仕入れる。そしてその情報から更なる作戦も練らなければいけない。どう計算しても時間が足りない…
 これは今日中にでも依頼する必要がありそうだ。
 やる事が決まれば実行するのは早い、早急に着替えを済ませて部屋を出る。
 どうせ冷蔵庫の中には食料は入っていない。外から食事を取る事にしようと思う。
 それよりもあらかじめリストアップしていた探偵所の住所を見てみる。当然の事ながら都市部に多く配置している事が分かった。値段が安い所を選んで内容を疎かにされては困る、しかし高い値段を取られて騙されるのも忍びない。
 ここは何件かだけでも話しを聞いて決めた方がいいだろう。
 俺の住んでいる場所は都心から少し離れているので電車に乗り込んで移動を開始する。

 電車の中は昼間という事もあってそれなりに人が多い。
 だからかもしれない、多分高校生のガキ3人が騒いでいた。ムカついたので目で威嚇しておく。それに気づいた1人が話しを止める。こいつは堪がいいなと思う。しかし他の2人はまだ五月蝿く声を張り上げている。
 迷惑だ、電車内は人の数が多い、だからこそムカつく。いつも思っている、迷惑を掛ける人間は死んだほうがいい。自分だけの世界に浸るのは引き篭もってからからにしろと思う。
 それは、この社会を綺麗にするには必要な方法だと俺は考えている。しかし、そんな事は現実には不可能。俺1人が努力した所で淀んだ社会は変わらない。変える事が出来るのは余程のカリスマか独裁者ぐらいだろう。
 時間に余裕があればガキ2人をボコボコにしてもいいのだが…生憎今はそんな暇はない。
 ここは俺が折れて我慢をしておこう。そして電車は目的地に止まったのでその高校生を見逃す事にする。

 駅内は休日という事もあって人が溢れている。所々から話し声、足音、雑音が耳を刺激する。
 何処も同じだなと心の中で呟く…騒がしいく、五月蝿い。それだけで俺の怒りを駆り立てるのは十分だ。
 ここで理性を失ってはいけないと少しだけ落ち着いて周りを見渡す。そして目に入ったのは少し古びた喫茶店だった。その喫茶店は決して繁盛しているとは言えなかった、しかし雑音のはびこる駅内と遮断されている。
 そしてコーヒーを飲みながらタバコを吸う事で完全に落ち着きを取り戻す。
 自分でも解る……最近の俺は荒れている。
 その事を表面に出していない、いや…運よく出ていないに過ぎない。
 いつ衝動が起きるとも限らない、そうなって計画を崩してはいけない。
 完璧な計画で完全犯罪を起こさなければ何の意味もない。
 残っている冷めたコーヒーを飲み干して立ち上がった。ブラックの苦さと酸味が口の中に広がる。
 お金を払って雑音で満たされた駅内に出る。ここのコーヒーは美味しいのにどうして流行らないのだろうとか思いながら…




/2

 カバンから探偵所の住所と場所をメモした紙を取り出す。目星を点けた探偵所は比較的駅から近い場所に位置しているのが有難い。遠ければそれだけ時間と体力を消費する事になる。
 足を進めながらメモに書かれた住所と土地を照らし合わせる。
 そして見つけた一つ目の事務所は裏道を少し入った所のビルに3階に位置していた。
 普段なら近寄りもしないだろう。しかし今は違う目的を持って裏路地を歩く…
 小さな看板が目に入りビルの入り口が矢印で標してあった。細い、手摺の無い、傾斜の急な階段を音を立てながら上る。ビルの中は薄暗く少しだけカビ臭い気もする。
 2階の扉にはテナント募集のチラシが張ってあった。こんな所で事業を始めたとしても来る客は殆どいないだろうと思いながら3階を目指す。
 そして『神崎探偵事務所』と書かれた扉を開く。
 ドアに取り付けられたベルがチャリンと音を鳴らして侵入者が来た事を知らせる。事務所の中は本と資料らしき紙が乱雑に置かれてある。他にもホコリが積もっている部分があったり、これは所長がしっかりしていないのだろうと解る。これで客からの評価が下がるのは間違いないだろう。
 そして足音と共に事務所の奥から声が聞こえる。
「お、若い人だね。依頼ですか?」
 出てきたのは30代ぐらいの髭を生やした細身で長身のおっさんだった。決して綺麗とは言えない部屋とその余裕を持っている姿は悪く言って雑、よく言って貫禄があるように見えると思った。
「まあ、立ち話もなんだからこっちに来て座ってくれ」
 そう言われ案内されたのが応接室らしい部屋だった。この部屋はまだ片付いているようにも見えるのはさっきの部屋と比べたからだろう…
 古いソファーに腰を掛けると俺は本題に入ろうとする。
「依頼を持ってこの事務所を訪れました。だけど話しを聞いてから此処に依頼するかを決めたいと思います」
 おっさんはボサボサの髪をかきながら話を始めた。
「まあ、出来れば俺の所に依頼を入れて欲しいな。今月は仕事が少なくて生活がギリギリなんだよ」
「残念ながらそんな同情で依頼は出来ません。依頼内容はある人の身辺調査とある場所の調査です」
 探偵は口が上手いだろう、だから乗せられる前に自分から本題を切りだす事にする。
「なるほど。それなら捜査期間とその場所で値段が変わってくるなあ。まあ詳しい話を聞くまでは解らないがな」
 おっさんは余裕のある態度は変わらない。
 もしヤクザがこの事務所に来たとしてもこの態度は変わらないだろう。それを俺は貫禄だと感じてしまう。他に流されない自分を持っているのだろうと思う。
「期間は1週間。それだけでどれだけの事を調べられるかです。場所の捜査については少しぐらい削っても構いませんしかし、ある人の調査は決して怠らないで欲しい」
「ふむ…私情がらみか?依頼を受ければ最大限調べる、手抜きは絶対しない」
 俺の顔つきでも読んだのだろうか…少しだけ驚いてしまう自分がいる。それともこれは探偵という役職が持ちえる徳とでもいうのだろうか…これだけの会話で私情と読めるだけの推理力をこの探偵は持っている。
「時間が惜しいのだろう?俺なら明日からでも調査を開始できる、しかし他の探偵社は違う。正規の手続きを取っていれば時間はその分奪われると考えたほうがいい」
 そして……少し怖れる。このおっさんの何を考えているかも解らない目は計画までも見透かされているかのようだ。
 確かにこの探偵社は個人経営の裏ルートで動いているようにも見えなくもない。そしてこの探偵がいう事も一理ある。
 時間が少ない、そしてここまで言うこの探偵は自信があるのだろうか?
 他にも見て周っておきたい探偵所はいくつかある、一見、適当に見えるこのおっさんに賭けてみたいとも思った。
「此処で依頼してもいい。ただし条件がある」
「どうも、それでその条件というのは?」
 そして気がついた。俺がどんな言葉を投げかけてもこのおっさんは少しも表情を変えない。感情などないようにポーカーフェイスを保っている。
「ターゲットを探っている事を誰にも悟られない事、依頼者が誰かを聞かれても答えない事。これを守ってくれるか?」
 はっきり言って1つ目は難しいかもしれない。聞き込みをすればばれてしまう可能性すらある。まあ、その辺はこのおっさんの力量だろう。自信を持っている以上は出来るだろう。
「任せてくれ、余裕だよ。こんな依頼も少なくはないから慣れているよ。私情がらみだとなれば俺も本気を出さずにはいられないしな」
 おっさんの余裕は態度からも読み取れる。私情だからと言って本気を出そうとする辺りが少しだけ不安だった…
「それじゃあ、これは必要経費と前金です」
 俺は財布から1万円札を10枚取り出す。値段を聞かれる前に出したのはこちらの器を理解して欲しいからだ。
 探偵と俺を結びつける接点は金銭取引による信用関係。
「物分りがいいな。OK、それじゃあこの紙に探る人と場所と調べて欲しい内容を書いてくれ」
 そして俺は全てを出来るだけ細かく記入する。
「それじゃあ報告書はどうする、送ろうか?」
「いや、一週間後また此処に来ます。成功報酬もその時に払おう」
 するとおっさんは忘れていたと言いながら名刺を取り出して俺に渡した。それには事務所の住所、携帯の電話番号、メールアドレスとおっさんの名前が記載されていた。
 名前は……景山 鴉(かげやま からす)。あれ……景山?ここの探偵所の名前と違う気がする。ここの事務所の名前は神崎じゃなかったのか?
「なあ、名前は神崎じゃ?」
 俺の疑問は当然だろう、するとおっさんは当たり前のように答える。
「俺は二代目なんだよ。神崎は一代目の名前さ。ところで今助手を探しているのだが此処で働いてみないか?」
 そして俺も当たり前のように答える。
「遠慮します」
 おっさんは俺の返事が分かっていて聞いたのだろう。『それは残念だ』とタバコに火を付けながら言っている。
 俺はおっさんを信用出来ているのが凄いかもしれない…
 そして散らかった部屋を抜けて探偵所を後にした。




/干渉ノート

 とりあえず探偵に依頼をする事が出来た。そして得られる情報の内容によって計画をより正確に精巧に作り上げるのは一週間後だ。
 必要なのは時間……しかし、少ない、来月にまで迫っている。
 これでは完璧な作品は出来上がらないだろう、その事も計算に入れる必要がある。
 そしてこの空いた一週間をどう使うか…
 情報収集をする必要はない、計画の準備をしようにも情報を基盤にして計画を練るのだからこの一週間では準備も出来ない。
 しかし、どれだけの情報が来るかの想像は可能。つまり想定をして計画を作る。それだけの準備は必要。そして得た情報で作った計画の修正を入れる。
 目的は変わらずターゲットの殺害それは簡単でもある。殺すだけなら会った時に刺すなり、首を絞めるなり、毒を盛るなりすればいいだろう。しかし、俺が捕まってしまっては意味が無い、俺が自由を得て完全犯罪を成立して初めて復讐が完遂する。
 そう……これは復讐劇だ。これを終えて初めて俺は解放されると信じて…
 気がつくと涙が流れている。ノートに水滴が零れ落ちる。ボールペンのインクが滲む…
 こんな気分では殺人計画を立てるなんてとてもじゃないが出来ない、必要なのは完璧な無情さ。悲しみなんて感情は捨てられるなら捨ててやりたい。
 そして思い出したのが完璧な無感情さを感じた探偵所の景山鴉の所長だった。もし、何かあればあの探偵社で働いてもいいかな、なんて考えてしまった。




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